シカゴと2×4住宅


広い意味では、日本における建物の全ては、その源流をたどると輸入住宅であるということになります。

世界最古の木造建築といわれる、法隆寺しかり奈良の大仏殿しかり、日本建築を代表すると思われている京都の街並みや「床の間」も、すべて輸入文化がもたらせたものです。

狭くは、主に北欧系の丸太で造ったログハウスのような形状の住宅と、アメリカ、カナダに代表される2×4住宅と呼ばれるものが、現在日本では輸入住宅と呼ばれるている代表例です。

 

今でこそアメリカ50州の一つに数えられるシカゴの人口は、1833年当時200人程度でした。(現在は50州中、上位3番目1950年の統計では最高362万人にも達しました)

 

この頃、日本は江戸時代、冷夏で雪が降ったとの記録も有る「天保の飢饉」が始まった頃です。

 

当時実業家であった「ウイリアム・バトラ・オグデン」は、それまで輸入に頼っていた穀物類がロッキー山脈の麓で栽培が出来ることを知り、その集積場をこの小さな町に建設しようと考えたのです。

 

そこで手始めに作業員が住む住宅の建設が急務でした。それまではアメリカでも、現在私たちが見慣れている軸組み工法が主流の建築がなされていました。

 

しかし、短期間で数百、数千の人達を住まわせるには時間がありません。そこで考えられたのが物置、小屋の制作に使われる2インチ×4インチ(約5㎝×10㎝)の断面積の材木を使って短期間に、大量の住居を造るという発想でした。

当時はまだべニア板というものがなかった為に、日本で在来工法と呼ばれる建築工法のように建物がゆがんだりしないように、2×4材の柱の間を、これまた2×4材でタスキのようにバッテン状につっかえ棒をして組み立てを行っていました。

 

建設当初は、携わる職人でさえも「こんなのは家じゃ無い、職人のプライドが…」とかなんとか言っていましたが、数百という建物が出来、新たな町ができあがってゆく様を見て、「何て素敵な建物だと!」と賛美の声に変わっていったといわれています。

 

従来の物置では無く、住居としての耐久性やデザイン性の実現のために骨材となる2×4材の密度を高める、組立方や寸法などに工夫を凝らす等をして進化をしてゆきました。これ以降細かい骨材に壁が張り付いているように見えることから「バルーン工法」と呼ぶようになりました。

 

2×4工法によって短期間で大量の住居を建て、カナダの発展に多大な貢献をしたということから、実業家だった「ウイリアム・バトラー・オグデン」はその後カナダの初代市長となりました。

 

現在私たちが知っている2×4工法住宅はそれが進化したものです。私たちが知っている、目にしている現在の2×4工法が登場するまでには更に120年ほど時代を待たなければなりません。

この間の進化の過程や歴史を多くの建設関係者は知りません…というか知ろうとさえしていません。

進化の過程や歴史を知ることは、どういう意図でこういう構造なのか、なぜこのような構造なのかなどをしっかり理解することに繋がります。

2×4住宅は、理由があって、合理性があって、2×4なわけです。

その背景というのを分からずに、形だけ真似しても、消費者にとって良いものが提供できていないのです。

 

 


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